diff --git a/astro/src/components/Section.astro b/astro/src/components/Section.astro index b62a5776..61bdc149 100644 --- a/astro/src/components/Section.astro +++ b/astro/src/components/Section.astro @@ -6,10 +6,11 @@ interface Props { id?: string; depth?: number; headingType?: 'a' | 'b' | 'c' | 'd'; + box?: boolean; class?: string; } -const { slugger, id, depth = 1, headingType = 'a', class: className } = Astro.props; +const { slugger, id, depth = 1, headingType = 'a', box = false, class: className } = Astro.props; const headingHtml = await Astro.slots.render('heading'); @@ -27,7 +28,7 @@ if (id !== undefined) { } --- -
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{depth === 1 &&

} {depth === 2 &&

} diff --git a/astro/src/pages/tokyu/data/history_mekama&toyoko_passenger.astro b/astro/src/pages/tokyu/data/history_mekama&toyoko_passenger.astro index 7ae6f2b7..9897a787 100644 --- a/astro/src/pages/tokyu/data/history_mekama&toyoko_passenger.astro +++ b/astro/src/pages/tokyu/data/history_mekama&toyoko_passenger.astro @@ -148,7 +148,7 @@ const slugger = new GithubSlugger();

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形式不明(製造中止)

目黒蒲田電鉄が10両の新製を計画しつつも実現しなかった車両で、購入認可申請の後、認可前に申請が取り下げられています。取り下げの理由は更ニ改良設計ノ上申請致度候とあるものの、タイミングからすれば後述の鉄道省車両の譲受(デハ20形)が行われることになったため新製を取り止めた可能性が考えられます。

@@ -1099,7 +1099,7 @@ const slugger = new GithubSlugger();
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  • モハ18 の越中鉄道(後の富山地方鉄道射水線)への譲渡に際しては認可申請の提出が行われたが、車両譲渡はより届出制となっていたため、監督局にて届出として処理が行われた。
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  • モハ18 の越中鉄道(後の富山地方鉄道射水線)への譲渡に際しては認可申請の提出が行われたが、車両譲渡はより届出制となっていたため、監督局にて届出として処理が行われた。
  • モハ18 は越中鉄道への譲渡の同年、7月29日の申請でさらに温泉電軌(後の北陸鉄道加南線)への譲渡が行われたが、越中鉄道側の申請書類において當社ニ於テ使用スルヨリ温泉電氣株式會社ニ於テ使用スル方總テノ奌ニ於テ有利ト認とあり、また車両は東京横浜電鉄の元住吉駅構内にて引き渡すとされていることから、越中鉄道への譲渡は書類上のことに過ぎなかったものと思われる。
@@ -1655,43 +1655,41 @@ const slugger = new GithubSlugger();
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- 1940〜1941年度増備計画車(未製造) - -

(新)東京横浜電鉄が44両もの大量新製を計画した車両で、自重 37.5t、定員 120人、75kW 主電動機といった仕様はモハ1000形と同一です。

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東横線ではモハ1000形10両の増備のみでは急増する輸送需要に追いつかないとして、1940(昭和15)年度に前述のサハ1形6両(実現せず)、1941(昭和16)年度に本増備車44両のうち10両を導入し、普通列車をすべて3両編成化する計画でした(急行列車は単行)。

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一方、目蒲線、大井町線、池上線ではそれまで目蒲線のうち全線通し列車が2両編成、大井町線のうち大井町―大岡山間折り返し列車が小型車(モハ1形)2両編成であったほかはすべて単行運転であったものを、東横線用以外の34両のうち1940(昭和15)年度に18両、1941(昭和16)年度に16両を導入し、目蒲線の蒲田―下丸子間折り返し列車を除き各線とも2両編成化する計画でした。

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これらはあくまで工事方法の中で言及されていたものに過ぎず、戦局の悪化もあってかそのほとんどは実際の車両製造の認可申請には至りませんでしたが、デハ3550形予定車(井の頭線デハ1700形)のように本計画を利用しての増備が行われた事例も存在します。

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車号計画工事方法
申請認可
未採番(電動客車44両)新東横
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+ 1940〜1941年度増備計画車(未製造) + +

(新)東京横浜電鉄が44両もの大量新製を計画した車両で、自重 37.5t、定員 120人、75kW 主電動機といった仕様はモハ1000形と同一です。

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東横線ではモハ1000形10両の増備のみでは急増する輸送需要に追いつかないとして、1940(昭和15)年度に前述のサハ1形6両(実現せず)、1941(昭和16)年度に本増備車44両のうち10両を導入し、普通列車をすべて3両編成化する計画でした(急行列車は単行)。

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一方、目蒲線、大井町線、池上線ではそれまで目蒲線のうち全線通し列車が2両編成、大井町線のうち大井町―大岡山間折り返し列車が小型車(モハ1形)2両編成であったほかはすべて単行運転であったものを、東横線用以外の34両のうち1940(昭和15)年度に18両、1941(昭和16)年度に16両を導入し、目蒲線の蒲田―下丸子間折り返し列車を除き各線とも2両編成化する計画でした。

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これらはあくまで工事方法の中で言及されていたものに過ぎず、戦局の悪化もあってかそのほとんどは実際の車両製造の認可申請には至りませんでしたが、デハ3550形予定車(井の頭線デハ1700形)のように本計画を利用しての増備が行われた事例も存在します。

+ +
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車号計画工事方法
申請認可
未採番(電動客車44両)新東横
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クハ3650形 diff --git a/astro/src/pages/tokyu/data/history_tokyu.astro b/astro/src/pages/tokyu/data/history_tokyu.astro index f139b702..a23bec66 100644 --- a/astro/src/pages/tokyu/data/history_tokyu.astro +++ b/astro/src/pages/tokyu/data/history_tokyu.astro @@ -165,7 +165,7 @@ const structuredData: StructuredData = {
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デハ3550形予定車(?)

戦時下において5両の新製が計画された電動車で、東京横浜電鉄時代のに認可が行われた44両の新製計画のうち1943(昭和18)年度の製造工程組入分を利用しての認可申請が行われ、横浜営業局(現:京浜急行電鉄)向けの制御車5両と同じタイミングで認可がなされています。

diff --git a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_fcc.astro b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_fcc.astro index dc655192..4b8eeccd 100644 --- a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_fcc.astro +++ b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_fcc.astro @@ -162,7 +162,7 @@ const structuredData: StructuredData = {

主制御器は当初3枚蓋でしたが、後に改修を受けて4枚蓋となり、5次車以降の MMC-HTR-20C 型に酷似した形態となりました。断流器箱は分巻回路用(FS1〜FS2)と直巻回路用(L1〜L3)、直並列切り替え用(S, P, G)の各スイッチを装備していましたが、これも改修工事で限流遮断器(L3)が高速度遮断器(HSCB)に置き換えられました。その際、高速度遮断器は単体の箱が向かって右側に増設された一方で、元の限流遮断器の跡地はそのまま空きスペースとされ、改造然とした形態になったのが特徴です。

東急線からは2008年までに消滅しましたが、国内では伊豆急行の譲渡車で多数が活躍しています。

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8000系グループの単独 M1 系車

8000系はもともと新玉川線完成時に⑥両編成にて使用される想定で製造され、電動車は M1–M2 で2両ユニットを組む構成ですが、1〜4次車の登場当初は東横線にて 3M2T の⑤両編成で運用されていました。この場合、電動車が奇数両になりますから、うち1両は MCOS 操作により M1 車(デハ8100形)のみの単独制御となります。主電動機の接続は4台で、並列段には進まず直列制御のみとなり、電力回生ブレーキの有効速度はユニット車の直並列渡りに相当する約 45km/h までとなります(通常のユニット車は約 22km/h)。また運転特性を合わせるため、2ノッチ時もユニット車は強制的に3ノッチ投入で並列段に入るよう設定されました。

diff --git a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_gto.astro b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_gto.astro index 6dce6a9d..2532a013 100644 --- a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_gto.astro +++ b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_gto.astro @@ -322,7 +322,7 @@ const slugger = new GithubSlugger();

これら2回に分けて行われた改造工事において搭載されたインバーター装置は7700系と同じ RG617 型であり、主要スペックや外観は変わりませんが、主電動機出力に違いがあるためか枝番を B 型として区別されていました。この結果、7600系は車両によって RG614 型と RG617 型が混在する結果になったのですが、登場当初からの組成の違いにより、7601F〜7602F と 7603F ではそれぞれの搭載位置が異なる結果となり、車体形状やパンタグラフ位置だけでなく、床下機器も興味深いものとなっていました。

RG614-A-M 型と同じく、7600系の引退に伴い2015年に消滅しました。

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7600系編成替えと制御装置の変遷
diff --git a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_high.astro b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_high.astro index eba66dab..d204a84e 100644 --- a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_high.astro +++ b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_high.astro @@ -292,7 +292,7 @@ const structuredData: StructuredData = {

さて、1969年頃より電車の制御装置に IC を使用して無接点化を図ったものが登場し、有名どころでは国鉄103系の地下鉄乗り入れ車に搭載された CS40 型が挙げられますが、この旧6000系用の主制御器も1974年より改修工事が行われ、左側の部屋に納められている各種増幅器が IC 化、また同時期に主抵抗器や限流抵抗器も更新されました(上記掲載写真はいずれも更新後のもの)。

現在は弘南鉄道大鰐線にC編成が1編成のみが残っていますが、本線で動くことはまずありません。

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磁気増幅器制御の整流子型界磁調整器による弱め界磁制御

抵抗制御車の力行において、速度上昇に伴い主電動機の回転が速くなるにつれ逆起電力が増加してゆきますが、低速域では抵抗を徐々に減らしてゆくことで主電動機に流れる電流を調整し、一定の加速度を維持します。すべての抵抗が短絡した後は、本来であれば回転力の伸びが大幅に低下し加速度が落ちてゆくところ、界磁に流れる電流を弱めて逆起電力を減らすことでその低下度を抑えることができ、これを弱め界磁制御と呼びます。

@@ -345,7 +345,7 @@ const structuredData: StructuredData = {

東急電鉄に続き京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)神宝線の2000系、2100系でも同様のシステムが採用されましたが、どちらも保守には手を焼いていたようで、東急6000系は1969年に電力回生ブレーキを停止、京阪神も昇圧工事の際にやはり機能を撤去され、この方式は電気鉄道で主流になることなく終わりました。

旧6000系B編成は晩年 VVVF インバーター制御の試験車として改造され、この制御装置は1984年に消滅しました。

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東芝 MCM パッケージ型主制御器

旧6000系B編成の主制御器は東芝の資料によると MCM 型として区分されていますが、本来の MCM 型の特徴とはかなり違いがあります。

diff --git a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_old.astro b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_old.astro index 56817672..f5c28c61 100644 --- a/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_old.astro +++ b/astro/src/pages/tokyu/machine/cont_old.astro @@ -399,7 +399,7 @@ const structuredData: StructuredData = { -
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モハ150形(デハ3300形)の制御装置の変遷

前述のとおり鉄道省払い下げ車の半鋼体化改造は3回に分けて行われ、サハ1形(東急サハ3350形)4両とモハ150形(東急デハ3300形)11両になりました。

@@ -482,7 +482,7 @@ const structuredData: StructuredData = {

MMC-H-10 型は東急電鉄から旧性能車が引退した後も十和田観光電鉄などの譲渡先のほか、変わったところだと豊橋鉄道経由で京福電気鉄道・福井本社に送られたと推測される個体がモハ1101形に搭載され、えちぜん鉄道になった後もMC1102号が2014年10月まで活躍していましたがえちぜん鉄道MC1101形の主制御器(MMC-H-10K 型)、現在は実稼働個体は消滅し、保存車や博物館展示品に数台が残るのみとなっています。

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日本初の多段式制御装置の採用電車は?

東京横浜電鉄モハ1000形は日本で初めて多段式制御装置を採用した電車であると紹介されることがありますが、日本初であることには疑念を抱いています。

diff --git a/astro/style/object/project/_main-section.css b/astro/style/object/project/_main-section.css index 2fc2de2c..01bb0a5d 100644 --- a/astro/style/object/project/_main-section.css +++ b/astro/style/object/project/_main-section.css @@ -18,6 +18,7 @@ Markup: .-hdg-b - 子に見出しB を含む .-hdg-c - 子に見出しC を含む .-hdg-d - 子に見出しD を含む +.-box - 枠線付きのボックス Styleguide 2.1.1 */ @@ -67,6 +68,13 @@ Styleguide 2.1.1 &.-hdg-d { --_margin-block: 2rem; } + + &.-box { + border: 1px solid var(--color-border-dark); + border-radius: var(--border-radius-normal); + background: var(--color-white); + padding: 1em; + } } .p-section__hdg {