目が覚めると、わたしはベッドに縛り付けられていた。666人目、これで最後だと思ったのに、あっさりと倒されてしまった。まさか最後の最後で、こうなってしまうとは。自分の不甲斐なさに、涙が出て来る。
「あっ、目、覚めた?ねぇねぇ、あなたは一体誰なの?どうして、わたしを…刺そうとなんてしたの?なんで…どうしてわたしのスマホのアドレス知ってるの?…そんなに泣いちゃって、頭痛い?スマホが当たったものね…。でも、ごめんね、うちには痛み止めとかはないの。お水とか飲む?お腹もすいてない?シリアルとバナナくらいしか無いけど、食べる?」
「あっ…えっと…」
目を上げると、666人目の女の子がいた。
わたしがこの手で、命を終わらせようとした女の子が。
「ご、ごめんね。いきなり沢山聞かれても、困っちゃうよね」
なんでこの子は、殺そうとしたわたしに、ここまで気を使ってくれるのか。「ごめん」なのは、むしろ、こっちじゃないか。
それでもわたしは…女の子の好意に甘えることにした。どことなく、それが正しいことのような気がして。
「…そうだな。では、バナナが食べたい」
「わかった。ちょっと待っててね。…あ、あと。あなたのナイフは、カナヅチでバッキバキにして川に投げ捨てちゃったから、もうわたしを殺そうとなんて二度と思わないでよね」
「…そうか。"バッキバキにして川に流される"のがわたしじゃなくてよかったよ」
「ふふ、元気そうでよかった。バナナを持ってくるから待っててね」
「ああ」
*
「なぁ…バナナは手を使わないと食べられないのではないかな?」
「そうだね。だからわたしが食べさせてあげる」
目の前の女の子は、丁寧にバナナの皮をむいている。どことなく、楽しそうにも見えた。…さっき、わたしに殺されそうになったのに。
「手を解いては…くれないか」
「うーん…そうだね。わたしを殺そうとした理由を、ちゃんと聞かせてくれたら、考えてあげる」
「…それもそうだ。わかった、理由を話そう。殺そうとして、悪かったね」
…ぐぅ〜。
「…その前に、やっぱりバナナが食べたいな」
「わかった!はい、あ〜ん」
「あーん…。…ふふ、バナナ、か。本物を食べたのは初めてだ。おいしいよ。ありがとう」
「どういたしまして。…あなた、バナナ食べたことないの?」
「こんな身なりをしていると、バナナを食べさせてはくれないんだ。紅茶と焼き菓子などが似合うらしくてね。もっとも、それも玩具だったけれど」
「あなたは、やっぱりお人形なの?メリーさん…?」
「わたしはロザリー。メリーとは誰だ…?だが、あなたの考えてるとおり、わたしは人形だ。しかし、なぜ『やっぱり』なんだ?」
「ごっ、ごめんね。ロザリーさん。ロザリーさんからのメッセージが、メリーさんの電話にすごく似てて…」
「メリーさんの、電話?」
「えっとね…」
*
「捨てられた人形が元の持ち主を殺す都市伝説、か…」
「ロザリーさんも、捨てられたの?…ごめん、でも、わたし、ロザリーさんってお人形を持っていた覚えはないんだ。もしかして、捨てたことも忘れちゃったのかな?だとしたらほんとうにごめん」
「謝らないで。たしかにわたしは捨てられたけど、あなたにじゃない。それに、捨てた子のことは、憎んだことなどあるものか」
「…どういうこと?ロザリーさんは、メリーさんみたいに持ち主を殺そうとしてたわけじゃないってこと?」
「ああ、そうだ。そんなこと、一度でも思ったことか」
「それじゃあ、なんでわたしを殺そうとしたの…?」
「…怖くなったんだ」
「へっ…?」
「消えるのが、怖くなった」
「消える…?」
「捨てられたことは憎んでいない。人形は、いつかは捨てられる運命にある。でも、ゴミの墓場でほかのゴミたちと一緒に十回くらい夏と冬を越していたら…体がどんどん砕けていって」
「十年も…!?」
「ふふ…長いと思うかい?人形で遊んでいた子供が大人になるのには十分な時間だものな…。しかし、遊ぶ相手が居なければ、ほんとうに、あっというまさ。そんな長い長い一瞬のうちに…手も足も砕けて無くなってしまってね。ある夜、あぁ、このままわたしは消えてしまうのか…と思うと…怖くなってしまったんだ。覚悟はしていたつもりだったんだが…本当に、情けない」
「………」
目の前の女の子は、要領を得ないといった顔でこちらを見ている。
「…そうしていると、死神と名乗る『何か』が現れて…『666人の世界中の女の子の魂を刈り取ることができたら、君に新しい人間の体をあげよう』と、そう囁かれてね」
「し、死神…?」
「本当に情けないことだが、わたしはその言葉に目がくらんでしまったんだ。『死神』と、わたしは契約した。そして君が最後の666人目だ。…いや、だった」
「だった…?」
「あのナイフは、『死神』に渡されたものなんだ。そのナイフを、期限である3回後の満月までに666人の女の子の血で染め上げる。それが、人間の体を貰うための条件だった。そして、そのナイフは君が『バッキバキに砕いて』川に流してしまった。そうだろう?」
「えっ…うっ、うん」
「ナイフが失われてしまった以上、死神からの条件を満たすことはできない。つまり、わたしに君を殺す理由は、もうどこにもない」
目の前の女の子は、口が半開きだった。返答に困っているのだろう。…無理もない。
「…もちろん、信じてくれ、とは言わないよ。人形が魂を持ったり、死神と契約したりするのは、君たちの間ではあくまでファンタジーだ。わたしもアリス…もとの持ち主と、そんな物語を一緒にたくさん読んだよ。ここまで凄惨なものは、流石に無かったけれど」
だが。その女の子は、表情が曖昧だったその顔を、みるみるうちに笑顔に変えた。
「…。んー、でも…信じちゃおうかな」
「な…なぜだ?わたしの言っていることは、君たちの常識や理性では、荒唐無稽な話だろう?」
「そうだね。でも、どうしても嘘をついているようには見えないんだ。少なくとも、とっさの嘘をついたようには見えないよ」
「それもこれも、全て演技かもしれないぞ」
「そんな用意周到な人が、あんなに簡単に倒されるかねぇ〜?」
女の子は、ぐっと顔を近づける。その顔は、何かを企んでいるようにも、ただ楽しんでいるようにも見える。そんな笑顔だった。さっき、わたしは…この子を殺そうとしたのに。…わたしに、この笑顔を直視する資格はあるのだろうか。そう思い、顔をそらす。
「なっ、あ、あれは…たまたまだ…。…かっ、仮に、演技じゃなくても…心から信じ込んでいる、狂者かもしれないじゃないか」
「そうかもね。でも、そこまで信じているなら、わたしをまた刺そうともしないでしょう?」
「でも…全部真実だとして…わたしは665人の…何の罪もない女の子を殺した殺人鬼だぞ。怖くないのか?」
「怖いよ。…でも、みんな怖いもの。優しそうな顔をして隠さないだけ、ロザリーさんのほうが安心…かな」
顔を戻して女の子の顔を見ると、一瞬だけ悲しげな笑顔をしていた。
「え…?」
「それに、その関節を見ちゃったら…もう信じるしかないって」
女の子は、わたしの服の袖を捲くった。
球体関節が露わになる。生命のない人形を、「可動」にするための苦肉の策。真の生命である人間と、その模倣にすぎない人形の間に生まれる、不協和音。
いつもはドレスで隠している「それ」を、女の子は蛍光灯の明かりの元においた。
「さぞ、不気味だろう?不自然で、不格好で…」
「すっごく綺麗だね!」
「…へ?」
「わたし、昔から球体関節に憧れてたんだ!スマホとかテレビで見たことはあるんだけど、実物は見たことなくて…触ってみても、いい…?」
「そうか…いつも姿を見ると悲鳴を上げられてばかりだから、びっくりしたよ。…ありがとう…。ああ、触ってくれて構わないよ。ただ、すこしデリケートな所なんだ。だから、優しく頼む」
「みんなが怖がってたのは、そこじゃないんじゃないかな…。うわぁ、本当に丸いんだ。でもロザリーさんの肌、柔らかくてお人形さんっぽくないよね」
「『死神』に半分だけ人間の体にしてもらっているんだ。人形のままでは、動けないからね」
「そうなんだ。もちもちしてる…いいなぁ、もちもち…」
人形だったときは触られてもなんともなかったのに、今は手首が少しこそばゆい。
「あ、ありがとう。でも、すこし、恥ずかしい…」
「髪もすごく綺麗!長いの毛先まで綺麗で…さらさらしてる…いいな〜。くしで梳いてみたい!」
「あ、あぁ、構わないぞ」
「わたしのくし…えっと、人間用のくししかないんだけど、大丈夫?お人形さん用のくしがあるって聞いたことあるんだけど」
「大丈夫。この髪は死神に借りた、正真正銘、人間の髪だ」
「そっか。じゃ、後ろ向いて」
「手足が縛られているから、無理だな」
「あぁっと、ごめん。すっかり忘れてた」
女の子は、とくにためらうことなく、わたしの手足を解いてくれた。あんな理由で、納得してくれたようだ。…すこし不安になる…。
「じゃ、後ろ向いて。ああっ、ぼさぼさ!」
「動き回って乱闘したのだからね。ぼさぼさにもなるだろう」
「せっかくの綺麗な髪だもん、もっと大切にしなきゃ!じっとしててね」
「あ、あぁ」
わたしは目の前のかわいいお人形さんの髪を梳いていた。
さらさらとしたその髪は、引っかかることもなく、みるみるうちに元のストレートヘアに戻った。金髪の髪の毛は、まるでほんとうに金で出来ているような気がするくらい、キラキラしててまぶしい。もうこれ以上梳かなくてもいいんだけど、わたしの手はどうしても止まらなかった。
「手を縛り付けたりして、ごめんね。痛くなかった?」
「襲ってきた相手だ。手を縛り付けるのはむしろ当然だ。…大丈夫だ、タオルの跡が残ったりもしていない」
ロザリーさんは、手を差し出してわたしに見せてくれた。球体で出来た手首の関節は、すこし折り曲げたらそのまま折れてしまいそうなくらい細くて。
「ロザリーさんは、これからどうするの?」
「…君に倒されてしまったときの事は、考えてなかったな」
その答えが、わたしはなんだかおかしくて。 ちょっと意地悪なことを言いたくなった。
「え〜?あんなに弱かったのに〜?すごい自信だねぇ?」
ロザリーさんは顔を真っ赤にしてすこし振り向いた。
「き、君が強すぎたんだ。それに、わたしはずっと、人間になることだけを考えて、それ以外は考えないようにしていたんだ。…女の子の命を奪い続けている事に押しつぶされそうな気がしてね。でも、もうその願いは叶わない。わたしが、自分の身勝手な望みのために命を奪った女の子たちの魂は…」
ロザリーさんの表情は、みるみるうちに曇っていった。
「はいはい、ストップ!…このあと、ロザリーさんはどうなっちゃうの?」
「…それも、わたしには分からないんだ。この半分人間の体は、女の子の魂を狩り取る間、ほんのわずかな瞬間だけ、死神から借りているものだ。きっと、いつかそのうち、返すことになるんだろうと思う」
「…死んじゃうってこと?」
「分からない。元の砕けかけた人形に戻るのかもしれないし、この世から完全に消えてしまうのかもしれない」
「…そっか。死神さんと約束した、満月?の日に返すの?」
「それも…分からない。たしかにあと3回満月を迎えるまでに、666人の女の子を、という期限はある。だが、その期限と成功時に人の体をもらえる事以外、何も教えて貰っていないんだ。…もし守れなかった時に、どうなるのかさえも」
さっきまで凜としていた女の子は、思っていたより頼りなくて、心細そうで。でもなんだかそれも面白くて、
「…よくそんな怪しいのを信じようと思ったねぇ」
「藁にもすがる思いだったんだ。本当に、情けない」
「うーん。ロザリーさんは、いつもどこに住んでいるの?」
「わからない。いつも目が覚めるとどこかの町に居て、次の女の子の居場所もなぜか『知っている』んだ。そして女の子の…魂を刈り取ると…そのままわたしも気を失ってね。気がつくと、また次の女の子の近くで目が覚めるんだ。気を失っている間、どこに居るのかはわからない」
それってつまり…
「そっか。帰る場所も分からないんだ…」
それならやっぱり警察かな…とまた思ったけれど、わたしはその言葉を飲み込んだ。こんな話、警察の人は絶対に信じてくれないよ。それに、もしロザリーさんの球体関節を見たら、研究所(?)とかで実験台にされちゃうかも。絶対ダメ。
じゃあ死神さんのところは?もっとダメ。ボロボロのお人形に戻されちゃうのか、消えちゃうのかわからないくらいだもん。よくわからないけれど、きっともっとひどい目にあっちゃう。…そもそもどうやって連絡すればいいの?
うーん、
「…あっ、そうだ。もしよければ、一緒にわたしと暮らす?」
「ああ、本当にわたしはダメな…へっ?」
自分でもおかしい事を言ってる気がしたけれど、でも、間違ってるとは思わなかった。
「帰るところが無いなら、この家で暮らすのはどう?」
「何を言っているんだ?ママやパ…君の父や母にはなんて説明する?」
「ふふっ、大丈夫。この家、ママもパパも居ないよ。わたし一人で住んでるもん」
「こ、この家にか?この家は、2階建てで4〜5人家族向けの家のように見えるのだが」
「うん、一人にしては大きいんだよね。お掃除するにも結構大変だから、ロザリーさんが住むなら分担してお掃除してもらいたいな」
「そ、そうか。…そうだな。恩に着よう。わたしは命を奪おうとしたのに、住処まで…ほんとうにありがとう。しかし、君は…そういえば、まだ君の名前を聞いていない。君の名前を教えてくれないか?」
「ネネだよ。死神さんは相手の名前も教えてくれないんだね」
「ありがとう、ネネさん。ネネさんは、」
「ネネでいいよ」
「…わかった。ネネは、ほんとうにいいのか?わたしと一緒に暮らすなんて、怖くないのか?」
「怖いよ。でも、さっきほどじゃないかな。ロザリーさん、これからよろしくね」
「…あぁ、よろしく、ネネ。わたしのこともロザリーで構わない」
「ありがとう、でもわたしはロザリーさんって呼びたい。ダメ?」
「ネネの呼びたい名前で呼んでくれるのが一番だ」
今日はロザリーさんは、ひとまずリビングのソファーで寝てもらった。 明日から一体、どうなるんだろう。 疲れたわたしは、お昼までぐっすりと眠った。…夏休みでよかった。