昔々ある所に、魔法使いになる夢を見ることと、お掃除とお料理の大好きな内気な女の子が居ました。
その女の子は色々な人の家や公園を掃除したり、暇を見つけては炊き出しをして色々な人にご飯を振る舞ったりしていました。お料理の教室をしていたこともあったけ。とにかく、お掃除とお料理が大好きだったのです。
ある朝、いつものように炊き出しをしていると、「君のスープは美味しいね。うちの屋敷でメイドをしないか?」と声を掛けられました。女の子は喜びます。だって、そのお屋敷は近所でも評判の高い、とても立派なお屋敷だったのです。町では、そこには見たことも聞いたこともない物が沢山あるらしいと皆が噂をしていました。女の子はお掃除のしがいがありそうだし、きっとすごい食材でお料理を作れそうと胸を弾ませ、その丘の上にある屋敷のメイドになることにしました。
女の子がメイドとして屋敷で働きはじめると、町の噂と一緒だったり、あるいはちょっと違ったりする、いろんな事に気が付きました。
屋敷はとっても広くて、埃の溜まりやすい角っこやむずかしい形のオブジェ、慎重に掃除しないといけない毛並みの綺麗な絨毯なんかがたくさんあるけれど、基本は普通のお家とあまり変わらないこと。
お料理も、世界中のお客さんがお屋敷を訪ねてくるから、誰にでも食べられるものを作ることに、炊き出しよりもずっと気をつけなければいけないけれど、それ以外はいつも作っているお料理とそんなに変わらないこと。
声を掛けられた時にはあまり聞かなかった、お洗濯の仕事も毎日たくさんあって、しかもそれはとても重要だとつよくつよく言われていたこと。
自分なりのお料理や自分なりのお掃除道具を研究して良い、町でみんなが羨んでいた一週間に一度の日は、もう無くなったこと。
お屋敷ではたくさんの異国のメイドさんが一緒に働いていて、言葉の通じない子もたくさんいること。お屋敷はすごく広くて、すごくたくさんのお客さんがやってくるから、この子たちと協力しながらお掃除やお料理をしないといけないこと。
慣れないお洗濯の仕事と、なかなか紡げない異国の言葉に内気な女の子は戸惑ったりもしましたが、それでも毎日毎日お屋敷でお掃除をしてお屋敷を綺麗にし、やってくるお客さんのためにお料理するのは女の子にとって、とても楽しいひとときでした。
ある日、女の子はお掃除をしている最中に歌を口ずさむのはやめなさい、とたしなめられます。女の子は、お掃除やお料理をする際につい口ずさんでしまうのです。大好きな魔法使いの歌を歌っていると、目の前のお鍋も魔女の壺に思えてゆかいだし、それに何より、歌う事も好きだったからです。でも、わたしは思わないけれど、うるさいと思う人もいるかもしれないから辞めなさい、と言われました。誰かがじっさいにうるさいと言ったわけでは無さそうなのですが(なにせお屋敷はとーっても広いですし、なにより内気な女の子はこっそりとしか歌えません)、たしかにそう思う人はいるかもしれないとは思ったので、みんなが絶対居ない深夜にだけ歌うことにしました。
でも、そのうち、誰も居ないことを何度も確認する事にくたびれてしまって、歌うことはやめてしまいました。
ある日、女の子は、レシピに絵を描くのはやめなさいとたしなめられます。女の子にはお料理を食べる人がどう思うかも想像してレシピを考えるという、女の子なりのこだわりがありました。ただお料理の作り方を字で書いただけでは、お客さんが本当に喜んでくれるか想像できないと思ったのです。でも、君の絵は異国からやってきたメイドが気持ち悪いと思うかもしれないから、やめなさいと言われました。たしかにそう思う人はいるかもしれないとは思ったので、自分だけのスケッチブックに、こっそり描くことにしました。
でも、そのうち、お料理のために絵を描くことはやめてしまいました。
ある日、女の子は、そんなみすぼらしい服を着ていないで、この綺麗で豪華なメイド服を着なさいと命じられます。でも、どうしても気がのりませんでした。たしかにとても豪華で、そしてかわいいメイド服ではあったのですが、いつもの服と違って動きにくかったからです。それになにより、自分で毎日綺麗にお洗濯をしている自分の相棒を、みすぼらしいと言われるのは辛かったのです。でも、周りのメイドの子は皆着ているので着てほしいと言われたので、女の子は他のメイドたちの居る時だけはそのかわいくて動きにくいメイド服を着ました。それでも女の子は、お掃除とお料理が大好きでしたから、みんなの居ない時間にいつもの格好に着替えてお掃除をし、今日の朝食の仕込みをしました。
ある日、女の子は、今度やってくる異国のお客さんのために「おれおのくっきー」を作ることを命じられます。女の子は「おれおのくっきー」は名前は聞いたことはあるのですが、見たことも、もちろん、食べたこともありませんでした。それは異国のお菓子で、それもお金持ちでないと食べれないお菓子でしたから、女の子は食べたことがあるはずもありません。
それでも、女の子は見たこともないお菓子を作るのが楽しみでした。
たとえ、それを自分が味見以外で食べることは無かったとしても。
味見をして、自分の舌には合わなかったとしても。
女の子は想像することも好きでしたから、「おれおのくっきー」が好きな異国の子を頭の中に思い描いて、その子と友達になって味について教えてもらうことだってできます。
それでも、「おれおのくっきー」は一筋縄ではいきそうにありませんでした。なんたって、レシピが何百冊も、そして何百種類もあるし、いちばん複雑なレシピを作るのに必要な小麦粉は、両手でも持ちきれないほどだったのです。メイドが何人居ても日がくれてしまうので、「おれおのくっきー」のために作られた専用のめん棒や、専用のオーブンまであるようです。もちろん、これらの使い方も覚えなくては「おれおのくっきー」は作れません。
そこで女の子は、日曜日に次の日の分の仕込みと掃除をすませて、月曜日に自分の部屋で「おれおのくっきー」を一日じっくり研究することにしました。女の子の身分では自分の部屋で研究をすることは禁じられていましたが、実際には前に何度もしたことがありますし、なにより、一緒にお料理を手分けして作っているときや、お屋敷にしかない一番大きなオーブンを使うためならともかく、そうでないなら自分の部屋で一番よい仕事がしたかったのです。
バニラ味のいちばんやさしい「おれおのくっきー」を自分の部屋のオーブンで作った夕方、メイド長に今日は自宅で研究しましたと報告をすると、今日研究した分は欠勤として出勤簿に載せなさい。あと明日からは毎日みんなと同じ時間に来て、みんなのとなりで研究して、みんなと同じ時間に帰るように。とだけ言い、メイド長は帰っていきました。
女の子はお給金が減るのはたしかにちょっぴり残念でしたが、それよりも、自分の今日の研究より、…そしてなにより、お掃除やお料理をすることよりも、みんなと一緒にランチを食べることの方が大事だと言われているような気がして、胸が痛くなり、そのまま目の前が真っ暗になってしまいました。